2011-05-06

ご縁

一年前の5月4日。
初めて彼の自宅へご挨拶に行った。
とっても緊張したけど、お父さんもお母さんもとっても優しく迎えてくれて。

それから一年後の2011年5月4日
両家の顔合わせとなる。
最後になるかもしれないお振り袖を着て出かけた。

親とはなれて暮らし10年近くなる。
その間、私はどんなふうにかわってきたんだろうなーってしみじみ思った。
と、同時にこうして沢山の大切な人と出会えた中で、
奇跡的に出会えた彼とのこれからの想像もできないような楽しい人生を想像しながら。

今回の3月11日に起きた出来事は、とても辛い出来事だったと思う。
言葉では言えないような深い悲しみが全世界を取り巻いたと思う。
私自身もあの日以来、何となく体の奥の方で、とっても重い気持ちがずーっとあって
両親を福島に置いてきてわたしはただ、こっちから心配する事しかできなくて、
何を見てもどこへ行っても下を向きたくなるような、
朝起きたらため息から始まるような、
自分の無力さにとことん落ち込むような、
意味が分からず泣いてしまうような、
そんな感じをずっと持っていた。

前を向く事と、両親を想う気持ちはこれからもずっと変わらないから、
だったら自分が自分の与えられた事をする事がまずは私にできる事だって気づいた。
苦しい気持ちを持つのは人間だから、仕方ないって。
とても大切が家族が健康でいてくれたら、それだけでどんな事があっても
いままで乗り越えて来れた。
例えば、朝ちゃんと起きて、ご飯をつくる。ご飯を食べる。お弁当を作って、
きれいに化粧をして、身支度をして、新聞を読む。
会社に行き、誰にも迷惑をかけず仕事をしてかえってくる。
そしてご飯をつくり、今日もご苦労様と自分にも家族にもありがとうという。
疲れていても、嫌な事があっても、例えばそれを「ま、いっか」なんて
思えるようになるとか。友達の声にすこしみみを傾けるとか。

そういう基本的な事ができる事がすごいと、
この最近の出来事の中で、自分の身のありがたさをつくづく感じた。



福島から出てきてくれた両親は私の事をとても大切に思ってくれてると、
改めて感じた日でもあった。
夜、久しぶりに家族4人でご飯を食べて、笑いながらおしゃべりをして
おいしいお酒を飲んで、
ホテルにかえった後もその日撮った式場の写真をTVのスライドショーで
写真を見ながら買ってきた缶ビールと柿の種をつまみに
本当によかったねと言ってくれた。
父は、小さな声で、「嫁に行くのか?いまならまだ間に合うぞ」と言った。
私は笑いながら、涙があふれそうになったのを必死に隠して洗面所でシャワーを浴びた。

次の日、新幹線のホームで父と母の寂しそうな背中と、
しかしながらとても笑ってくれた顔と、
もう少しで名字が変わる私に、言ってくれた言葉と、
新幹線に乗った後に手を振って「またねー」と声の聞こえない口を見て、
涙があふれた。

最近、涙腺よわくなったなぁ。本当に。

お父さんお母さん ありがとう。



2011-05-02

NISSAN STD

マリノスVS清水
本日、HOME開幕戦。
震災の影響で、試合が延期になっていた。
一人一人が今ある命を大事に生きること。楽しむこと。